【槙野】続・槙野移籍をサンフ欠乏症ブログ的に書いておく(2012)
【追記】
今でも「槙野」で検索してこの記事に来られるか方が多いので追記。今さらですが。
この記事を書いた翌日以降に出た新聞記事などの情報を得た後は、この記事と同じ気持ちではいられなくなったし、もちろん現在、この記事に書いたような気持ではないです。
浦和でプレーすること自体はサッカー選手として「アリ」だと思ってる。そこは今でもそう。
そこじゃないんですよねー。
ボクも、サッカー選手という職業がどういうものかある程度は分かってるつもり。
そこじゃないんですよ。
2013,01.05
このブログには記事のカテゴリーに【槙野】というのがあるんだぜ?w
http://inhale-sanfrecce.cocolog-nifty.com/blog/cat20688283/index.html
過去記事を読むと痛々しいなwww
2010/12/31 広島→ケルンの時はこれでした。
【槙野】槙野移籍をサンフ欠乏症ブログ的に書いておく
http://inhale-sanfrecce.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post.html
【徳川家康三方ヶ原戦役画像(別名:「顰(しかみ)像」)】
http://www.benrido.co.jp/shopping/shikamizou.html
※槙野に贈りたい一枚
クラブの歴史は前にしか進まない。計算で言えば「足し算」で、足して積み上げていくしかないもの。とにかく「前へ、前へ」であり、「ひとつずつ積み上げる」のだ。
だから、大切なのは自分がサポーターとしてどう前へ進むかってこと。
■ネガティヴな妄想もポジティヴな妄想もどっちにしろ妄想
昨年からずっと、いろいろと妄想と想像をしたわ。
昨年のうちはこんな感じに(←12/21の記事)考えていたけど、年が明けて状況も変わったよな。
1月8日(日)以降はこんな妄想をした。
・ケルンからの期限付移籍の期間内は移籍先が槙野の給料を払う。ケルン財政難だし・・・とか(妄想です)
・レンタル料ではなく年俸という条件だったり・・・とか(妄想です)
・意外に槙野はお高かった・・・とか(妄想です)
・てゆか1年間に出場5試合の日本人DF受け入れるクラブなんて無いんじゃないか?(妄想です)
・FSVフランクフルトも興味を示したが交渉は不調に終わったってことかも(妄想です)
・結局欧州クラブで受け入れてくれるところが無くなり、離陸したものの着陸するところが無くなった(妄想です)
・このままでは2012年、槙野がプレーする場所(クラブ)が無い(妄想です)
・日本に帰国し、広島で「広島大好きアピール」をさんざんやりきった後、そんな状況に追い込まれて(妄想です)
・プレーするクラブが無ければ2014年W杯どころか、W杯予選すら出場できない(妄想です)
・残るは・・・う、浦和・・しかない…ゴクリ…(妄想です)
・広島は人件費抑制のため、槙野にオファーを出せる金が無い(妄想です)
・プレーする場所が無いならそこが日本だろうが浦和だろうがしゃーないやん・・・(妄想です)
・そして、その場所に父親と慕うミシャや、陽介(その他ヴィクトリア世代選手)がおるんなら(妄想です)
・浦和だって選択肢のひとつ…ってか、それしか選択肢が無い状況に追い込まれちゃったよ!!!(妄想です)
・その状況に加えて、槙野の「性格」を考えれば、妄想は想像・想定へランクアップ・・・。
時間をかけて妄想と想像をして、誰も悪者にしないといころへたどり着いて納得するようにした。
誰かを悪者にすれば、どこかに矛先を向けなければならず、それはそれでストレスじゃん。
確かに「何か(誰か)が悪い」んだけど、一時的にそれをうやむやにすることにも意味がある。
それは、自分が広島サポーターとしてより有意義に前へ進むためのもの。
槙野に怒るなら怒ればいいし、批判したけりゃ批判すりゃいい。
その過程を経て、落ち着いたらやはりサポーターは前に進むのだ。
オレは去年から呆れ、怒ってたし、ちょいちょい批判もしてたし、同時に応援もしてた。
昨日も今日も怒ってるし、やっぱり呆れてるし、批判もしている。そして今なお応援する気持ちも残ってる。ただ、ここで一回それなりの整理をしただけ。現実の中に自分を置いた。
■サポーターの思考と哲学
”ど真ん中”でやるサポーターなら、自分の感情よりも「自分が何を支え、何を守り、何を育てるか。それをいかなる方法、行動で」という思考や哲学を大切にするべき。まだ無いなら持った方が良い(この”ど真ん中”というのは応援する場所の概念ではないです)。
このクラブの選手たちを支え、サポーターを支え、このクラブの選手たちを守り、サポーターを守り、このクラブを愛してくれる選手やサポーターを育てるのだ。そしてその方法と行動はかなり多種多様。
その行動によって「悪い何か」を改めていくんだよ。
付け加えておくと、ただ感情的に、自分の感情基準で怒っているのは違うけど、きちんとクラブや選手のこと、そして広島の街のことを考えた上での槙野批判は「悪い何か」を改める行動のひとつだと、オレは思っている。
■選手にとっていいクラブってなんだ?
ひとことで言うのは難しいし、その「いいクラブ」という環境を創るのにサポーターが関われる割合はそれほど大きくないと思う。
しかし、サポーターができる範囲のことくらいは全力でやりたい。
・多くの観客の中でプレーできる環境整備への支援。
・困難な状況の時に支え援けること。
・選手と同じか、それ以上に強い気持ちで勝利を求めること。
・共に勝利を掴み取り、共に勝利を喜び合うこと。
・選手の成長を支援すること。
・本気で応援するからこその叱咤激励。
・
・
・
例えばこういった要素がサポーターによって創られることで、選手は「いいクラブ」と思ってくれるんだと、オレは考えてる。
そして、オレはこれを意識して行動してきたし、これからも行動していく。
槙野が広島を出る時に、あれだけ涙を流したのも「出ていく辛さ」があったから。それは、広島のサポーターが他のどこかのクラブとの比較ではなく「槙野の涙を引き出すくらい」には、その行動が出来ていたからだと思う。
■槙野の何がダメか、周りの大人が教えてやって欲しいのだが
槙野の何がダメかって「自己肯定」をしすぎるところだと思う。
周りの人から自分を肯定してもらえるよう成長しなければならんのに。槙野はケルンへ移籍して試合出場が困難な中でも「充実している」と連発。オレは槙野には「悔しい。こんなはずじゃない。でも頑張る。レギュラーもブラジルW杯も掴みますよ」と言って欲しいとずっと思ってた。ずっとそこに苛立っていた。
逆に槙野本人が「悔しい。こんなはずじゃなかった。」と言えば、オレは「大丈夫。ここで頑張ってこそ掴めるものがあるだろう。応援してるぞ」と言えたのに。
男は自分で自分を肯定するのでなく、他者から肯定されるべきだ。
そして自分の評価を気にすることで、余計に自信を失っている。
欧州に渡ったのに試合に出られない。代表に召集されるもベンチ。出場して足を攣ったこともあったな。自分の評価が下がる怖さを感じていたと思う。
そういう状況の中で、槙野の取った行動。広島へ帰ってきた時にビッグアーチで劇場に参加し「僕は帰って来なくていいですよねー!?」とサポーターに問いかけて『帰ってきて~(願)』という声援を引き出す。自分の人気を再確認して、自分が気持ち良くなるための劇場参加だったと思う。メンタルを保つのに必要だったとは思うが、ただやはり・・・情けないのである。
そして昨年末の帰広時は、広島ローカルの番組に自らオファーして出演。自分から持ちかけたのでギャラは無しだと噂で聞いたけど。広島で世話になっていた人たちにも会ったりしたようだし、「広島大好きアピール」をしまくっていった。それ自体は良いことだ。それができるのが槙野の良いところだと思う。
ただ、槙野は「広島大好き」アピールによって、人気を得ている部分がある。自らがそういう自己プロデュースをしてきた。だから他の選手とは違う。
そのアピールによって人気を得ること。それは自分の選択を狭めてしまうことにもつながり、そして、広島の人をがっかりさせてはいけないという責任も負うということだ。
「自分を追い込んで挑戦する事も必要だけど自分が輝けるだろう場所に身をおく事も大切。」
http://twitter.com/#!/tonji5/status/155242461038514178
浦和こそが「自分が輝ける場所」じゃなく「自分を追い込む場所」なんだと誰か周りの大人が教えてやって欲しいです。
■槙野が帰る場所
今は槙野が何を言っても批判されるだろうから、何も喋らない方がいいと思う。
帰国前に槙野がtwitterにツイートして、またそれを批判するひともいた。そりゃそうなるわ。
そういうあたりのアドバイスをする人がいないのか、いても槙野がそれを振り切って語ることを「義務」だと思っているのか。ただ、自分の存在を意識してもらい、応援してもらいたいのか。
日本のクラブに期限付き移籍というのは、「欧州では通用しない日本人DF」の烙印を押されて返品されたようなもんだ。再び欧州クラブから評価され、来年冬の移籍市場で所属クラブを見つけるのは困難だと思う。ケルンがクラブとしてどれくらい本気で探してくれるのかも心配だ。
ただ、それでも槙野は欧州に戻らねばならない。こういう”規格外”の移籍劇を演じたんだから、それ相応のプレーをして日本国内でも、欧州クラブのスカウト陣からも認められるプレーを見せねばならない。
そして、日本国内の目よりも、欧州クラブのスカウト陣の目よりも厳しいのが、広島サポーターや広島の人たちの目だ。彼らは、いや我々は槙野を見る目が厳しいばかりでなく、もう槙野を見ない、信じない、気にしないかもしれない。まず観てもらえるところまで戻れるのかどうかという状況からのスタートだと思う。目というか「心」を開かせなければならない。
槙野が広島に戻りたいと思っているかどうか。それは本人が口を開かないと分からないし、今はそういったことを公に口にすることも許されないだろう。もしも、その気持ちがあっても口に出して欲しくない。いろいろ問題になるし、なにより広島の前に帰るところがあるだろう。
広島に帰ることは欧州に帰ること以上に時間もかかるし困難なことだ。
■ど あ ほ が 。
浦和公式HPに載ったコメントで「この度浦和レッズに1年間の期限付き移籍をする事になりました槙野智章です。」と「1年間」の「期限付き移籍」という言葉をしっかりと混ぜているあたり、槙野の性格と拘りを感じるんだよな。
「そんなの深読みしすぎだよ」って一般的には思われるかもしれないけど、オレも高校からたかが8年間程度だけど槙野を見て接してきたので、槙野の性格がある程度分かる。だからそこが引っかかる。そして、そこが引っかかった人はオレの他にもいる。やはり槙野をずっと見てきた人だ。
槙野のこの移籍について、オレは比較的淡白な発言をしてきた。
いや、怒ってはいるけどね、そりゃ当然。
でも、去年からずっと怒っていたので今さら感情が抑えられないほどではないし、それなりに冷静なのは、
槙野をさっさと諦めたからじゃない。
槙野を諦めてないからなんだよ。
槙野はオレに応援されていることを幸せに思え。どあほが。
そして再び、腹の底から槙野を応援できる幸せを、オレたちに与えてくれ。どあほ。
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コメント
浦和サポ仲間でも"槙野が好き""槙野がもっと成長するのを楽しみにしてる"って思っていたのはワタシだけじゃなくて・・・
去年(じゃなくて一昨年か)、練習に参加して、『今の君じゃダメだ』ってホッフェンハイムにNGを喰らって、
"今はまだ、ドイツとか海外に移籍する場合じゃないな""もう少し、広島(でなくて、当時噂のあったガンバでも名古屋でも)でがんばって、ぜひ、と請われるようになってから移籍したらいいじゃん"
と思っていた矢先に、なぜかケルンに華々しく移籍・・・
なぜか、槙野の数少ない出場試合を日本で普通に見ることができ、
何に驚いた、って進歩どころか、良かったはずのこと(ゲーム、守備の勘みたいなもの)は劣化し、相変わらず1対1に強くなった気配はない、ドイツのサッカーでそれはないよ、、、、
と愕然とするくらいの劣化でした。
こんなカタチで日本のチームにレンタルで出された、ってことは、レンタルバックはまず期待できない、
おそらく、浦和とは買取オプション付の密約があるもの、と思いますが、、、
大好きな信頼する監督の下で、仲良しの柏木と、おそらく、当たり前にゲームに出る、からスタートすると思いますが、、、相当に苦労することでしょう。
Jリーグの中の人の期待に応えて、開幕戦は去年一度もお邪魔できなかったビッグアーチに伺います。
投稿: えりぴょん | 2012年1月15日 (日) 02時20分
>>>えりぴょんさん
あー、あえて使うのを避けた「買取りオプション」に触れちゃった(´・ω・`)
こんなに自分を追い込むサッカー選手を見たことありません。
投稿: きのり | 2012年1月15日 (日) 11時07分
1/15【槙野、海外オファー蹴りJ復帰…浦和】(スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20120114-OHT1T00182.htm
ドイツ1部の1FCケルンから浦和への期限付き移籍が決まった日本代表DF槙野智章(24)が14日、帰国。成田空港から乗り継いだ広島空港で「この移籍が間違っていなかったとプレーで証明したい」と語った。
ドイツ2部のFSVフランクフルト、インゴルシュタットなどが候補に挙がり、一時は海外での移籍を決意したが、「相手の話を聞いて、抱いていた思いと合わなかった」。広島時代に師事したミハイロ・ペトロヴィッチ監督(54)が浦和の指揮官に就任したこともあり、超守備的な戦術のドイツのクラブではなく、成長できる環境としてJ復帰を決断した。近日中に埼玉へ移り、20日の始動日にはチームに合流する。
ブログ更新した翌日にこの記事が出ると。妄想覆されるというねwww
閲覧数が徐々に落ち着いてきたのでコメント欄に記録しておこうかなと。
投稿: きのり | 2012年1月15日 (日) 23時41分
広島空港でってことは広島に帰ってきてるのか。「まだ広島には帰りません。帰れません。」という“演出”でもすれば『覚悟』も伝わってくるというのにもったいない。そういう「見せ方」も、ひとつの手としてはアリなのに。そして無理やり納得するための妄想を完全否定されるし。2部とはいえ、ドイツでのプレーを蹴るとはもったいない。と、オレは思う。欧州で通用せず帰国したと思われたら欧州復帰のチャンスを掴むのを余計に困難にすると思うんだけど。本人や代理人らはどう考えとんかな?なんにせよ、浦和は「輝ける場所」じゃなく「追い込む場所」だ。ドイツの2部を蹴ると言うことは、広島がオファーすれば帰って来たってことかな。広島は金がないのもあるけど、「今ここでオファーしない」という親心があったのなら営業的には失敗かもしれんが美しいけどね。ま、オファーできないのもしないのも、まぁ納得。つーか、年末に広島帰ってきて「欧州で頑張る」言うとんじゃけぇね。「超守備的なドイツのクラブ」というのは報知の妄想かもしれないので無視。「抱いていた思いと合わなかった」とか、槙野側から断ったような書き方だけど、それもどうか分らんし。体裁を考えてそんな風にコメントしたのかもしれんし、報知がそう書いただけかもしれんし。そもそも、槙野はメディア向けに考えてコメントを出すので。成長するためにミシャの元から旅立ったのに、ミシャのところに戻ったら、またミシャサッカーでのDFになるだけじゃん。ケルンでの経験をいかに活かして成長した槙野を見せるか。Jリーグに、欧州クラブスカウト陣に。そして広島に。昨日までの情報に加えてこの記事。ドイツのクラブからのオファーを蹴ったというなら、オレの捉え方も変わってくる。まだ、この記事だけで判断できるわけじゃないけど、大原に行くのも見合わせるつもり。槙野の真剣さが伝わってくるかどうかで決めるわ。本当に今の自分がどうなのかしっかり自己分析して、とことん自己否定して、適度な自己肯定をできるようになって欲しい。
投稿: きのり | 2012年1月15日 (日) 23時42分
なぜ槙野智章は帰国を決断したのか?志半ばでドイツを去る無念と覚悟。
了戒美子 = 文
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2011/index.html
http://number.bunshun.jp/articles/-/187023?page=2
http://number.bunshun.jp/articles/-/187023?page=3
ケルンを離れ浦和入りが内定し、槙野智章は慌ただしい日々を送っていた。
片言のドイツ語で行う日常生活にまつわる事務手続きに始まり、遠く日本への引っ越し準備、お世話になった方々への挨拶、報道を受けて電話をかけてくる仲間たちへの報告と決意表明……紆余曲折を経たものの、現時点ではケルンの戦力外となってこの街を去ることについては、名残惜しさを口にしていた。
「ケルンっていう街が大好きだった。お店もいっぱいあって便利だし、暮らしやすいし、街の人も、みんなとても親切だったし楽しかったな……」
今季前半最終戦でようやくチャンスが巡ってきたが……。
昨季、冬の移籍期間にケルン入りしてから今季前半戦までで、槙野に与えられたチャンスは数えるほどしかなかった。
そんな状況のなか迎えた12月16日、最後のチャンスともいえる前半最終戦であるバイエルンとの試合で、槙野は前半途中から80分弱プレーし、好パフォーマンスを見せた。既に、槙野(だけではなく複数の選手)が役に立っていないのではないか、という移籍期間を見据えたあからさまな不要論がドイツメディアをにぎわしている時期ではあった。実際に、クラブ内でも放出リストに上がってもいた。だが、この日の好プレーにより、クラブ幹部からは
「ジェマル(チュニジア代表でアフリカネーションズカップに参加する)がいない間にレギュラー奪取のチャンスもあるぞ」
と、ポジティブな言葉をかけられてもいたのだ。そもそも移籍そのものに抵抗を感じる槙野にとっては、願ってもないことだった。
だが、そこで槙野は一度立ち止まって悩むことにしたのだ。そして、思い切って自らの意思で自らの行く末に結論を出すことにした。
「(ジェマル不在の)1、2カ月のために残留することもない。やっぱり、移籍しよう」
1月のポルトガルキャンプには同行せず、移籍への準備を進めることとなった。
<次ページへ続く>
なぜ槙野はソルバッケンに評価されなかったのか?
なぜ、槙野はソルバッケンに評価されず、移籍を余儀なくされたのか。
生活面の問題はなかったし、言葉は片言でもピッチ内で不便を感じるほどではない。確かにチーム内での緊密な人間関係という話になると、不可抗力の要因もあっただろう。だが、それ以外に彼自身にも原因があったのではないか? 少々辛辣ではあるが、率直にそんな疑問をぶつけてみた。
「そうだよね、あると思う。監督の求めるプレーを出来なかったということだと思うし、監督からもそう言われた。完全に最終ラインをオーガナイズしてサッカーしたいのに、オレが時々攻撃的な姿勢を見せることも良くなかったみたい」
結局最後までソルバッケンとは正面からぶつかることもなく、試合メンバーから外されるという形だけで、その意思を確認することになった。
一方で、浦和の監督を務めていた時代から槙野を高く評価していたフィンケ・スポーツディレクターは、その攻撃性をストロングポイントのひとつとして捉え、大いに買っていた。だが、その点がソルバッケンの下でプレーするにはマイナス評価にさえなったのだ。
ソルバッケンを呼び寄せたのもフィンケ自身だったことから、フィンケからは槙野に謝罪の言葉もあったのだそうだ。ただ、そのストロングポイントを差し引いてしまうと、肝心な時に監督の思い通りの良いプレーができなかったことも、また事実だったということだ。
実戦を通じて自信と体力を取り戻すべく、自ら移籍を決意。
槙野が、今回の移籍にあたって何よりも重視したのは「自分のプレーへの自信回復」だ。
「ただ試合に出るのではなく、自分のプレーを貫いて結果を出す。チームメイトから頼りにされたいし、広島時代のような感触を取り戻したい」
プレースタイルを度外視するなら、ドイツ国内から複数のオファーを受けていた。ただ、下位のチームで超守備的なプレーをすることでは自分の良さが発揮されない。どうしたら良いか、考える中で浮上してきたのが浦和だった。
「(ミハイロ・)ペトロビッチが熱心にオファーしてくれて。最初は日本に帰るなんてないと思っていたけれど、もしかしたら良いかもしれないなと思えてきた。ドイツ国内の移籍も良かったかもしれないけれど、それはそれでリスクがある。自信と、自分のプレーを早く取り戻すためにどうしたら良いかを考えた」
次いで、取り戻さなくてはならないのは、ゲーム体力だ。
昨年10月、キリンチャレンジカップのベトナム戦で起こした両足けいれんで、実戦不足なのを日本中にさらすこととなってしまった。
「あのときは、両足だけじゃなくって、いろんなところがつっちゃった。やっぱりあれで、移籍するなりして試合にでなくちゃって思った」
移籍を考えるひとつの契機となった。
<次ページへ続く>
2年後のブラジルW杯を見据えての決断に、迷いはない。
ただ、ドイツで成功したいという志半ばでの帰国ではある。
当たり前に悔しさも、気恥ずかしさのようなものも感じる。
当然のことながら、周囲の批判的な声も耳に入ってくる。絶対欧州に残れと助言する仲間もいた。だが、本人の中では長いサッカー人生と、2年後に迫るブラジルワールドカップを見据えた選択であり、そこに迷いはない。
「浦和には広島と違う難しさが必ずあると思う。ペトロビッチも選手層が厚い浦和では無条件に中心にしてくれるわけじゃないと思う。それに、ケルンからのレンタル移籍っていう見られ方もするかもしれない。それに1年で日本に戻るケースも珍しいとは思う。でも、まだまだ夢も目標もあるし、今はとにかく試合に出て、活躍しなくちゃいけないんだと思う」
槙野は、夢への道半ば。チャレンジは、まだまだ続く。
投稿: きのり | 2012年1月16日 (月) 21時33分
プレーのことはいいや。公式戦に出られないということは「充実している」という言葉の連発では覆せない。
90分を闘う体力も落ちたり、把握しづらくなるだろうし、そこの成長が無いとか、衰えるとかはいい。
ただ、思考と心意気はどうなのか。
もしそこの成長がないならば、なによりそこが悔しいし情けない。
まぁ、それはこれから見えてくるので決めつけてはいけないんだけど。
投稿: きのり | 2012年1月16日 (月) 21時37分
しかし、了戒さんにこそもっと槙野にガツン!!!!!と言って欲しいんだけど。インタビューじゃない時に言ってくれたかなー?
言える人が言ってくれないと。
自分への厳しい声には耳をふさぐタイプだろ槙野…
自分のことを好きな人が好きなんだよな。
投稿: きのり | 2012年1月16日 (月) 21時40分